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執筆者の写真haruto-maeda

再会 韓国ソウル

更新日:5月26日

ゴールデンウィークの休みを利用して、韓国ソウルへ行ってきた。

関空からアシアナ航空で金浦空港に到着。フライト時間はあっと言う間の1時間20分。

イミグレでは多くの人が並んでいて通過するのに約50分もかかってしまった。

ようやく出口を出ると友人の崔(チェ)さんが出迎えに来てくれていた。崔さんは30年以上前に卒業した写真学校時代の同級生だ。

崔さんの用意してくれていたT-moneyカードで空港鉄道と地下鉄に乗り、都心部の明洞(ミョンドン)へ。

T-moneyカードにはすでに崔さんが50,000ウォン(約5,000円)もチャージしてくれていた。韓国の交通機関は日本よりもはるかに安く、滞在した一週間、何度も地下鉄で移動したが十分に足ることができた。


観光客で賑わう明洞にはとくに興味などなかったが、そこには崔さんがかつて働いていた写真スタジオの跡地があるそうで、その場所に私を連れて行きたかったのだ。

一応記念にと、今はもう使われていない写真スタジオが入っていた古いビルを撮影したのだが、これが私がソウルで撮影した最初の1カット目となった。

この場所で崔さんは30~40代の若い頃にカメラマンとしてバリバリに働いていたんだな~と思うと、なんだかその頃の崔さんに会ってみたい気分になってしまい目頭が熱くなり涙がでそうになってしまった。

崔さんとは昔、貧乏学生の頃よく新宿の安酒場で酒を飲み、つまらぬ事で大ゲンカをしたこともあったが、今ではかけがいのない大切な友人なのだ。


明洞の街をひと通り巡ぐった後で、かつて栄えた印刷工場があった忠武路(チュンムロ)の町を通りすぎ、下町風情がまだ残っている乙支路(ウルチロ)、そしてソウルいちのディープな町、焼肉通りのある鐘路3街(チョンノサムガ)まで歩いて行った。

ここいら一帯は再開発がかなり進んでいるが、夕方になると昔の面影を残したレトロなビルの隙間の通りに屋台が出現し、仕事帰りの会社員などが多く集まり活気を帯びた夜の町へと変貌する。

その真っただ中にある一軒の老舗の焼肉屋に入り、早く味わいたかったサムギョプサル(豚肉)やカルメギサル(豚ハラミ)を食べ、ソジュ(韓国焼酎)で乾杯し再会を祝った。


「さあ、今夜は飲むぞ!」と言ったものの、聞くところによると崔さんは昨年の夏に痛風になってしまったそうで、奇しくも同じ頃、私も痛風を発症していたのだった。

仕方なく二人のおやじは痛風爆発を恐れ、水と酒を交互に飲みながら、かつての勢いなど微塵も感じられず宴の夜は静かに終わってしまい、景気づけにもう一軒ナマズ料理を食べに行ったのであった…!



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